Vol.67

今から十数年前、わたしは、とある女子大の寮に監禁生活していた。
門限7時。外泊は月2回、両親からの許可証が出ている住所にのみ。
寮生100人に対し(今のように携帯など持っていない時代)
公衆電話2こ、コンセント8こ、テレビ1台。
日ごろマスコミの情報はほとんど皆無だった。

そんなある日、こんなニュースが全寮を駆け巡る。

『いかりや長介死んだってよ』

えええええええええええええええええええええ!!!!!!

何でなんでなんでぇぇぇぇぇ?????


どこから湧いて出たのか。
もちろん当時のこのニュースは「ガセネタ」だったのだけど、
ワンレンボディコンのバブリーな女子大生集団にも
「いかりや長介死んだんだって」という偽情報は、かなりショッキングなものだった。
そしてそれは、今から考えると、
「何であれほどまでに」と思うくらいの騒ぎだった。

こんな昔のエピソードを思い出す。
そしてそれが、現実のものになる日が来たということだ。


この春、いかりやさんが死んだ。72さいだったそうだ。


こんな言い方、本当はいけないのだろうけれど、
例えば新聞の『お悔やみ欄』で、
”○○さん逝去 35さい”などと記載されていれば、
「まあ、ずいぶん若いのに」と思われるだろう。
でも、“××会社社長 72さい”と書いてあってもたいして驚かない。
ところがそれが、自分の身内となると、
「72さい」だろうが「85さい」だろうが「98さい」だろうが
“まだまだ元気で居て欲しい、死んじゃうなんて寂しい、悲しい。”
と思わされるのが人情だろう。
私にとっていかりやさんの死はそのたぐいのものであった。

数ヶ月前、日本から送ってもらったお正月の番組のビデオの中に
『ドリフ大爆笑 40周年』という特番が入っていた。
昔のわっかーーいドリフのコントVTRから、
一番最近再結成した時のコント舞台の収録などが録画されている。
みんな、いい感じに年をとり、少し照れながらのお笑いが余計面白い。
もちろん観客も若い人たちが多く、喚声の上げ方もなんだか新鮮だった。
そのオープニングは、もちろん例の
♪ド・ド・ドリフの だいばくしょー♪である。
しかし、通常のとは少し違っていた。

画面の後ろで、必要以上にはじけているスクールメイツとは対照的に
何十年も同じタキシードを来て、不機嫌にだらだらとやる気がない、
あの、♪ド・ド・ドリフの〜♪ではなく
一番最新のそれである。
後ろではじけるスクールメイツは、
昔の彼女達の娘くらいの年齢となっているのだろうか。
少女達がボンボンもって飛び回る。
また、彼らのタキシードもきっと以前よりも高級なものに新調し、
顔にはしわが増え、髪の毛は薄くなり、
やっぱり少し照れながら、
でも、優しそうにニコニコと笑って。やる気もあるし、機嫌もよさそうだ。

最新版
♪ド・ド・ドリフの大爆笑〜♪

この収録が、いかりやさんの最後の映像となった。
番組中に、コメントをはさみながら進めていくメンバーに
いかりやさんの姿はなかった。

「あれ?いかりやさん、どーしたよ?」
「なんか、営業行ってるらしいよ」
「ずいぶん稼ぐねぇ、あの人も。」

そういえば、いかりやさん、リズムを取る動きがぎこちなかった。


「ちょうど最後の収録の時、スタジオで偶然すれ違ったんですよ。
俺が“ひげダンス”の音楽をうたったら、やってくれたんですよ、
“ひげダンス”ちょっとだけ。
おおおおおおおおおおおおおお!!!って思いましたね。」
と、言っていたのはキムタクだったか。
そういえば彼らは父子だったよな。。

 本名・碇矢長一(いかりや・ちょういち)。
昭和6年11月1日、東京都墨田区生まれ。
37年ザ・ドリフターズの結成に加わり、39年からリーダーに。
同41年に初来日したビートルズの前座で演奏を務めた実績を持つが、
次第にコント色を強め、TBS系のお笑いバラエティー「8時だヨ!全員集合」は
最高50・5%の視聴率を記録。

当時、視聴率調査対象家庭の半分以上がこの番組を見ていた事になる。
ちなみに当たり前の話だが、
うちには視聴率調査の機械なんかついてなかったし
さらにクラスのほとんどがこれを見ていたから
実際には、もっともっと、たくさんの日本国民がこれを見ていた。
総理大臣の名前は知らなくても、
いかりや長介の名前を知らない人は居なかっただろう。

「ほらほら、“おつけ”だよ。”おつけ”」
「“おこうこ”もお食べよ、”おこうこ”」

「そこそこっ雨が“むってる”だろうが、雨がぁ。
ずいぶん“むるねぇ”」

“お味噌汁”のことを“おつけ”と言い、“漬物”のことを“おこうこ”と言い
“雨が漏るねぇ”というのを“むる”という。
いわゆる「江戸弁」なのだろうが、これが私にはなんともたまらなかった。
そこに、私の生まれてすぐの言語環境を見ることができた。
東京の下町に生まれた私は、“おつけ”と“おこうこ”で朝食を済ませ、
「寝る前にジュース飲むと、おしっこ“むっちゃうよ!”」と
しつけられてきたのだ。
不可解な、それでいて懐かしいような“いかりやかーちゃん”の言葉は、
訳もなくツボにはまり、内容に関係なく大笑いした覚えがある。
私にとっての、変な魅力のひとつだった。

あんな田舎の我が母校でもご多分に漏れず
「ドリフターズの番組は見てはいけません」という趣旨のプリントが配られた。
でも、、、やっぱり見ていた。
少し夜更かしのできる土曜日の夜、
「全員集合」と「Gメン」の流れをせき止めることは誰にもできなかった。
クラスが「ひょ○きん族」派と2分しても、私は「ドリフ」が好きだった。
平日にやっていた人形劇の『とべ!孫悟空!』を
「パパもちゃんと見てね。」と、出張先の父に電話した憶えもある。

いかりやさんは正義の味方だ。
「おかーちゃん」でも「先生」でも、「隊長」でも「剣術の師匠」でも。
いたずらな「息子達」や「生徒」、不出来でとぼけた「弟子達」を叱咤激励し
いじめられてもからかわれても、いつでも正論を振りかざす、
勧善懲悪主義者である。


笑った。
笑ったよなぁ。。
家族そろってみんなで、あんなふうに笑いながらテレビ見るって
これからの日本にあるんだろうか。。

取調室のいかりやさんも、レインボーブリッジのいかりやさんも
なんだか少し照れていて、なんだかこっちも笑いそうになってしまって、
でも、それがかえって、かっこよかった。いい男だと思わせた。

もし小学生の頃、
「フリッツちゃんのお父さん、いかりや長介に似てるよね」と言われたら
きっと泣いてしまったかもしれない。
でも、今、あんなじぃさん、かっこいいよなぁ、と心から思える。
年取ってもベースなんかはじいて、60過ぎてから3回目の結婚なんかしちゃって。

自分の葬式に茶髪でイケメンのジャニーズや
10代のかわいい女の子も来てくれちゃうような
そんなかっこいいじぃさん。。

そんな年のとり方、いいよなぁ、と思う。


春休み、日本に一時帰国していたわたしは
何度となくいかりやさんの追悼番組を見ることができた。
トータルすると、いったい何時間になるだろう。
出来る限りビデオに録画し持ち帰った。
そして今ここで、ほとんど同じ年代のママ友達は
みな「貸して貸して」と言っている。
そして、8歳と5歳の我が子ども達は日々連発する。

だーめだこりゃ。。

いかりや長介さんのご冥福をお祈りいたします。


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